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MIKIO ARIGA
PHOTOGRAPHY
デビュー30周年を迎えたTHE YELLOW MONKEY。
今なお日本ロック史に輝く名盤
『SICKS』『PUNCH DRUNKARD』のツアーに帯同し
バンドの一時代をフィルムに刻み続けた
ロックフォトグラファー有賀幹夫とglambがタッグ。
珠玉の写真作品を散りばめた5アイテムをリリース。
全アイテム 受注生産
5月13日(土) 15:00 受注締切
「洋服」ではブランド史20年を数えるglambがその得意とする手法を駆使し、ヴィンテージ加工や切り替え、総柄使いといったテクニックによって写真の世界観をみずみずしく再構築。そこにセットとなるのが有賀幹夫の持つ元データのアーカイブを高精度に出力した銀塩写真。こちらはオリジナルのフォトフレームに入れてお届け。袖を通して楽しめる着る楽しさに加え、元写真の繊細な美しさも感じていただきたいという思いを込めたセット展開となります。
1997“SICKS”
- 96年から97年にかけては
- バンドからスタッフワークまで
- すべての歯車が合って
- 何をやっても最高という時代だった。
- まばゆくて、あまりにも幸せな瞬間続きでした。
- by Mikio Ariga
SICKS Years T-Shirts
- PRICE: 9,900yen
COLOR: WHITE / Black - SIZE: S, M, L, XL
DELIVERY: 7月下旬
有賀幹夫氏が1996年に英国・ブライトンで撮影したバンドポートレートをあしらったTシャツ。ボディは着る人を選ばないレギュラーシルエット、テキスタイルにはしなやかさとハリ感を兼ねそろえた40/2天竺生地を使用。裾には同時期のステージに見られるドットライトを模した書体のロゴを刻印したメタルプレートを加えています。
- この写真はメンバーがレコーディングでイギリス滞在中に、ブライトンという街で撮影したもの。ブライトンは60年代にはモッズとロッカーズの紛争が起こり、その後もThe WhoやQUEENが楽曲の題材にしたロックの聖地。その地で僕はTHE YELLOW MONKEYを撮影したかったのです。
- 有賀 幹夫
SICKS Tour Bowling SH
- PRICE: 19,800yen
COLOR: Black - SIZE: S, M, L
DELIVERY: 7月下旬
有賀幹夫氏が1997年、アルバム『SICKS』期に撮影したライブフォトやオフショットの数々を総柄テキスタイルに。ボディはロックンロールのニュアンスを漂わせるボウリングシャツタイプ。身頃の右裾にはメタルプレートを付属し、リュクスなニュアンスを加えています。サイズ展開はS・M・Lの3つとなりますが、女性でもオーバーサイズでスタイリングできるシルエットとなっております。
- 『SICKS』期の写真をglambさんがシャツにしてくれました。ステージカット、オフショットの両方が使用されていますが、今見ても本当にどの写真もかっこいいと思います。デザインにはglambさんらしくボウリングシャツの要素も加えられていて、ぜひ衣装を着るような気分で着てみてほしいですね。
- 有賀 幹夫
1998/99“PUNCH
DRUNKARD”
- 「CDは100万枚売って当たり前」、「目指せ何万枚」。
- 90年代の終わりの音楽業界は
- 今思うとクレイジーになっていました。
- その異常な渦の中、
- 113公演に及ぶツアーが始まったのです。
- by Mikio Ariga
PUNCH DRUNKARD
Years T-Shirts
- PRICE: 9,900yen
COLOR: WHITE / Black - SIZE: S, M, L, XL
DELIVERY: 7月下旬
アルバム『PUNCH DRUNKARD』期にアーティスト写真として使用されていたメンバーポートレートをあしらったTシャツ。ボディはバイオウォッシュを加えて経年変化の風合いを演出、そこへ敢えて擦れを加えながらプリントを施してヴィンテージTシャツを思わせる佇まいに。モノクロームの写真の質感を生かしながら、洋服ならではの手法で新たなニュアンスを吹き込んだ1枚となっています。裾にはメタルタグをあしらい、ヴィンテージライクなムードの中にリュクスなニュアンスを加えています。
- この写真はPUNCH DRUNKARDツアーのステージ袖に即席のセットを組んでライブ終わりに撮影したもの。バンド史の中では過酷だったとされる時期に撮影されたものですが、眺める度にかっこいいという感覚を超えて、ただただ綺麗なルックスだなと感慨を受ける写真です。
- 有賀 幹夫
PUNCH DRUNKARD
Reversible JKT
- PRICE: 33,000yen
COLOR: Black - SIZE: XS, M, L
DELIVERY: 7月下旬
「PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99」に帯同して有賀幹夫氏が撮影したライブフォトの数々を総柄であしらったジャケット。テキスタイルは高密度な生地をセレクトしており、写真の持つ魅力を鮮明かつ艶やかに表現します。そこから一転、glambならではのこだわりが込められたのがリバーシブル仕様となった裏面。こちらは同ツアーで吉井和哉が衣装として着用したボクサーガウンを模したサテン生地を使用。後ろ身頃にも衣装と同様のワッペンを加えてスタジアムジャンパーにまとめることで、表面とは違ったスタイリングを提案します。3つのサイズ展開のうち、XSはレディースサイズに相当するサイジングとなっております。
- ローリング・ストーンズの海外撮影に行くときに着ていきたいなと思うジャケットです。日本代表というか、アジア代表というか、THE YELLOW MONKEYはそういう存在ですから。無地の面の素材感もツアーで吉井さんが着ていたボクサーガウンの佇まいを思い出しますね。
- 有賀 幹夫
2023.05.03(WED) -
2023.05.09(TUE)
開催終了 THANK YOU
バンドとの出会いと
コラボレーションへの思い
- 今回のコラボレーションは有賀さんの発案によって成立しました。コラボレーションに至ったきっかけはどんなものだったのでしょうか。
- 有賀幹夫(以下A): 昨年、PUNCH DRUNKARDツアー期の写真を収めた写真集『SHADOWS AND LIGHT』を構想5年の末、遂に出版できました。2009年にアルバム『SICKS』時代の写真集を出版していて、それとこの写真集で僕の中のTHE YELLOW MONKEYのA面とB面が揃ったという実感があります。光と影、表と裏。それが完成したんです。
その一方、2020年、2022年と二度、glambさんとローリングストーンズのフォトTシャツをコラボレーションで発表させてもらいました。glambさんと作ったTシャツは、ストーンズの海外公演から国内でのライブなど撮影の現場でも何度も目にしました。
僕が普段扱うのは写真集や額装した写真といったいわゆる「紙物」ですが、それとは違うTシャツならではの良さや大切さを実感したんです。
2冊の写真集が揃ったこのタイミングで、当時の写真をTシャツをはじめとするアパレルに落とし込んでみたいと感じたのは僕にとっては自然な流れでした。
- THE YELLOW MONKEYのフォトグラファーを務めるようになったのはどんなきっかけからなのでしょうか。
- A:THE YELLOW MONKEYを僕が初めて撮ったのは95年の初武道館です。バンドにとって初めての武道館公演で、アルバムだと『smile』の時ですね。誰かいいカメラマンいないか探していて、業界の何人かが、僕の名前を挙げてくれて。
- 当時の有賀さんはローリング・ストーンズのオフィシャルフォトグラファーを務め、他にも国民的なロックミュージシャンを多数撮影されていた時期になりますよね。
- A:いやいや。でも「有賀と言えばストーンズを撮ってるあのフォトグラファー」といったように自分の名前が少しは定着したような時期ではありましたね。武道館公演の後、次の年の「野性の証明」というツアーからずっと撮らせていただくようになりました。
『SICKS』
- 写真集『HEAVEN』では海外のレコーディングにもフォトグラファーとして帯同されました。こうした撮影形態は当時では一般的だったのでしょうか。
- A:ここまでの規模での撮影はあまり経験がないですね。この時期の撮影では海外レコーディング、ジャケット撮影、ドキュメントまで撮らせていただいて、全てが楽しかった。メリーゴーラウンドの撮影も全部自分で発案して、本当に僕も充実した仕事をさせていただいた。
- その写真をあしらった〈SICKS Years T-Shirts〉が今回のコラボレーションで発表となりました。この写真の撮影はどういったものだったのでしょうか。
- A:撮影は当時バンドがレコ―ディングで滞在していたロンドンの近郊、ブライトンという街で行いました。The Whoがブライトンを題材にしたコンセプトアルバムを作っていて、その流れで映画『さらば青春の光』の舞台にもなりました。それにQUEENも“Brighton Rock”という名曲を出しています。このロックの聖地のような場所で、THE YELLOW MONKEYを撮影したかったんです。
- 撮影はスムーズだったのでしょうか。
- メリーゴーラウンドとロックバンドの組み合わせは、一般的には合わないですよね。でも「今のTHE YELLOW MONKEYだったら撮れる」と思って挑戦したんです。結果はただただ最高というか、ここまでのものを撮れると思わなかった。衣装も最高ですが、スタイリストが選んだものではなくメンバー自身が着てきたものなんです。
- 被写体と衣装とロケーション、すべてが素晴らしいですね。
- この頃、大手レコード会社の知り合いのデザイナーから「有賀さん、THE YELLOW MONKEYのスタイリストさんを教えてほしいんだけど」って相談を受けて「もちろんご存知ですよね?」って言うから「知ってるけど、忙しいし、高いと思うよ」と言って返したんです。だってスタイリストはTHE YELLOW MONKEYなんだから。
- それはとても高額なオファーになりそうです(笑)。
- 『SICKS』の時期はバンドもスタッフワークも、すべての歯車がガチっと合って、何をやっても最高というような状況でした。あまりにも幸せな瞬間だったから、振り返れば、その後に迷いの時代が来るのも自然だったのかもしれないですね。
『PUNCH DRUNKARD』
- そこからバンドは写真集で言うと『SHADOWS AND LIGHT』、アルバム『PUNCH DRUNKARD』の時期に入っていきます。この時期はバンドにとって過酷な時期とされていますが、有賀さんからその時期のバンドはどのような風に見ていたのでしょうか。
- A:90年代の終わりは、業界がクレイジーになってたんです。「CDは100万枚売ってなんぼ」みたいな、ね。THE YELLOW MONKEYですらどこまでビッグになれるか挑戦もしていたと思うし、ビジネスの世界に絡め取られたんです。「目指せ何万枚」ですとか、そういう設定が先にあり過ぎてしまったんじゃないでしょうか。1年間にライブを113本っていうのも、ある意味、同じことですよね。だから客観的に見ると、ちょっと異常な渦にバンドもスタッフも含めて飛び込んでしまったっていうのかな。でも、そこで勝たなきゃって、誰もがそういう時代だったからしょうがないんですけどね。
- 有賀さんは、113本のうち、どれぐらいに?
- A:30〜40本ぐらいは行きました。
- 結構な数ですね。帯同する側としても辛い時期だったのでしょうか。
- A:何がどうとは言いたくないし、言えないけど、『SICKS』の時とはガラッと変わっていましたから。ともかくガムシャラにやっていて、一線のバンドがここまでちょっとガムシャラにやらざるを得ないところが辛いというか。だって若い奴らのガムシャラじゃないんですよ。
- 〈PUNCH DRUNKARD Years T-Shirts〉はそんな時期に撮影された写真を使用したアイテムです。こちらの撮影はどのようにして行われたのですか。
- この4人の写真はバンドの休止中にはアーティスト写真のように使われ、僕自身も昨年出した写真集の表紙に使わせてもらいました。でも、もともとアーティスト写真として撮ったわけではないんです。ライブ終わりの4人を、1人ずつのポートレートで収めたいと思って撮影をしたものです。
- スタジオで撮影されたものだと思っていました。
- いや、グレーのバックペーパーを会場の壁に貼って、あとはライトを一発当てただけです。ライブ終了後の導線に待ち構えて、メンバーが通りがかったら10カットくらいパンパンパンと撮って。なのでアザーカットもあるのですが、でもこの写真はこの4枚でなければダメで1枚も差し替えられないです。
- HEESEYさんだけ目線が外れていますが、そこにも有賀さんの思いが込められていると聞きました。
- この時期のライブはHEESEYさんのテンションが、すごかったんです。この時期はHEESEYさんがバンドを引っ張っていたというくらい、1年間通して力が入っていた。1番年上でもあり、裏のリーダーのような感じがあるじゃないですか。そのHEESEYさんのやりきった佇まいを表現するには、目線なしなんだよなっていうか。
- ラフなシチュエーションで撮影されたとは思えないくらい、メンバーと有賀さんの魅力が詰まった写真ですね。
- 過酷な時期ではあったけど、かっこいいなというか、綺麗なルックスだなって感じますね。でも、このテイストで撮れるのは僕じゃないかな。この微妙なロック感というか。それをどこまでテイストとして写真の中に出せるかは、フォトグラファーの問題も大きいと思うんですよね。
天才に天才と呼ばれた男
- 有賀さんはその後もTHE YELLOW MONKEYを撮影し続けられていますね。
- A:2001年の最後の東京ドームと大阪ドームで撮影して、休止があり、再集結してからも何度か撮っていますね。でもそれだけでなく、昔撮影した写真でもベスト盤などが出る際に使用いただいたり、12月の年末の武道館のTHE YELLOW MONKEYでも会場の展示に使用されたり、そういう意味で続いてる感じがあるんですよね。
- 武道館での初めての撮影からずっとチームとして。
- A:そうですね。25年以上、95年からだから。
- これまで撮影を振り返って、THE YELLOW MONEKYを撮る楽しさ、あるいは難しさはどういったところにありますか。
- A:楽しさは、めちゃくちゃルックスがかっこいいじゃないですか(笑)。それでいて普段は気のいいロック兄ちゃんなんですよ、普通に。育ちがいいというか、人として優しいというか。昔からいつも言ってるんだけど。でもそこからオンステージやフォトセッションになった時の歌舞く感じ、本当にガラッと変わる。そういうギャップに惚れ続けていますね。本当にかっこいい。
- でも、有賀さんの撮る写真について、メンバーから感想とか深くもらったことはあるんですか?
- 吉井さんに昔「天才」って言われたことある。
- それは、どの写真の時ですか?
- 最初に出会った頃にシングル『SPARK』のジャケットを撮らせていただいて、写真を仕上げて、次、お会いした時に「天才」と言われた。だから僕は、天才に天才って言われた男(笑)。そういう本当に嬉しい思い出は数え切れないほどありますよね。
- それは嬉しいですよね。
- A:“世界を売った男”のように“THE MAN WHO~”って英語にして、glambさんでTシャツにしてください(笑)。
フォトグラファー有賀幹夫
1960年生まれ、東京都出身。
1980年代半ばよりアーティストの撮影を始める。THE YELLOW MONKEY、RCサクセション、ザ・ブルーハーツ、ザ・ローリング・ストーンズなど、国内外の様々なアーティストを撮影。
THE YELLOW MONKEYの6thアルバム『SICKS』、7thアルバム『PUNCH DRUNKARD』のレコーディング、ツアーに帯同。『SICKS』のレコーディング風景、「ARENA TOUR ′97 “FIX THE SICKS"」「TOUR ′97 〜紫の炎〜」は『HEAVEN』(小社刊)に収められた。ザ・ローリング・ストーンズのオフィシャル・フォトグラファーとしては、計6回の来日公演撮影に関与。日本では2019年に開催された、世界巡回中のザ・ローリング・ストーンズ展コンテンツ協力者(日本人としては唯一)。2022年1月チャーリー・ワッツ写真展を企画、開催。
「glambと有賀幹夫さんとTHE YELLOW MONKEY。素晴らしいコラボから誕生したアイテムは、それぞれの個性が見事に融合した“アート”を感じさせながらも、カジュアルさも併せ持っていて、どれもドンドン着たくなる洋服に仕上がりましたね。メリーゴーラウンドでのショットも、パンチドランカーツアーのショットもサイコーだし、その他'96~'99年の大好きな写真ばかりが使用されていて、あの“GOLDEN YEARS”が鮮やかに甦ります。数年前からプライベートでglambの商品をショップやオンラインで買わせてもらっているので、こうしてコラボレーション出来てとても嬉しいです。」 廣瀬“HEESEY”洋一