「ストーンズを見られなかったという不幸な歴史が日本にはある」
1962年に英国で結成され、今なお現役を続けるザ・ローリング・ストーンズ。
1973年に日本武道館公演が企画されるが日本政府がバンドの入国を拒否。
1990年に待望の初来日が実現すると、10公演50万枚のチケットが完売した。
glambは今年、彼らの来日30周年を記念し
ザ・ローリング・ストーンズとの二度目となるコラボレーションを発表。
日本人で唯一バンドからオフィシャル撮影を認められたフォトグラファー、
有賀幹夫氏の貴重な写真を用いたフォトTシャツコレクションを送り出す。
公開に合わせて直営店、glamb Tokyoでは7月4日(土)より『ザ・ローリング・ストーンズ来日30周年写真展』を開催。フォトTの先行予約の受注を行うと共に、Tシャツに使用された写真やその他貴重なアーカイブカットを展示します。7月11日(土)、7月12日(日)の二日間は有賀氏も来場(各日13:00-16:00)。ザ・ローリング・ストーンズファン垂涎の貴重なイベントとなっています。
※入場無料
フロントプリントには日本人唯一のザ・ローリング・ストーンズ オフィシャルフォトグラファーである有賀幹夫氏によって1990年の来日時に撮影された写真作品を使用。いずれのTシャツもバックスタイルには90年当時に使用されていた赤青のリップス・アンド・タンを刺繍し、その下に当時のセットリストをプリントで刻みました。テキスタイルに40/2天竺を用いたボディはシルエットにゆとりを持たせたビッグサイズ。当時を知る方も、初来日後にザ・ローリング・ストーンズを知った方も、年代を問わずに着用いただけます。
PRICE:8,800yen
COLOR:Black/White
SIZE:0, 1, 2, 3, 4
DELIVERY: AUGUST
"90年来日公演のクライマックス
ミックとキースの絆を感じさせる1カット"
■有賀幹夫氏コメント
「『ミッドナイト・ギャンブラー』のブレイクでミックとキースが歩み寄ってキースがミックの肩に手をかけるこのカットは、ファンの誰もが感動するシーンですね。でも実は『スティール・ホイールズ』ツアーのお約束の演出で、二人は世界中の公演でこのポーズを決めていたんです。デカダンスで破天荒なイメージのキースですが、ファンを泣かせる一流のショーマンでもあるんですね。——有賀幹夫」
PRICE:8,800yen
COLOR:Black/White
SIZE:0, 1, 2, 3, 4
DELIVERY: AUGUST
"聴衆5万人、東京ドームの視線をくぎ付けにした
ミック・ジャガーのパフォーマンス"
■有賀幹夫氏コメント
「当時は寝る間もなく毎公演を撮影していたので、各写真を撮った時のことはほとんど覚えていません。でもこのカットはお客さんのいるフロアに降りてきた時のミックですね。ミックとカメラの目線が一緒で、見上げていない。ということはミックがいるのはステージの下なんです。東京公演では『サティスファクション』 の時に客席に降りて、最前列の人にタッチしたり、あの演出も当時ファンを沸かせましたね。——有賀幹夫」
PRICE:8,800yen
COLOR:Black/White
SIZE:0, 1, 2, 3, 4
DELIVERY: AUGUST
"日本のロックファンが待ち焦がれた
キース・リチャーズを象徴するシルエット"
■有賀幹夫氏コメント
「正確には覚えていないのですが、おそらくキースのソロコーナーの『ハッピー』のエンディングに撮られたカットでしょう。両手をギターから離したこのポーズはキースを象徴するシルエット。ギターを鳴らして両手ブラリのプレイがキース独自のグルーヴを生み出すんです。僕もストーンズを撮影の時にはこのタイミングにシャッターを重ねてきました。 ——有賀幹夫」
PRICE:8,800yen
COLOR:Black/White
SIZE:0, 1, 2, 3, 4
DELIVERY: AUGUST
"プレイとステージングの双方で
キース・リチャーズはグルーヴを巻き起こした"
■有賀幹夫氏コメント
「ストーンズは未だに現役だけど、キースも最近では動きは少なくなってきている。そういう意味では今では見られなくなったキースのステージングを捉えたカットです。左足なんて足首がねじれてて、すごいポージングですよね。——有賀幹夫」
PRICE:8,800yen
COLOR:Black/White
SIZE:0, 1, 2, 3, 4
DELIVERY: AUGUST
"ロン・ウッドの見せる
チャーミングでエモーショナルな姿"
■有賀幹夫氏コメント
「ロニーは今のストーンズをパフォーマンス面でも精神面でも引っ張っているエネルギッシュなメンバーだけど、もともと飲酒でとても苦労した人。僕も30年の撮影の中で、大変な時期も見てきたし、撮影をしてきた。だけどこのロニーは本当に元気で、彼本来のキャラクターがよくわかるカットで僕も気に入っています。——有賀幹夫」
PRICE:8,800yen
COLOR:Black/White
SIZE:0, 1, 2, 3, 4
DELIVERY: AUGUST
"バンドの静と動を操る
チャーリー・ワッツのクールネス"
■有賀幹夫氏コメント
「これまでチャーリー単体でのTシャツってレアですよね。今と比べるとやっぱり若いですね。チャーリーはドラムキットがシンプルで顔が隠れないから、フォトグラファーからしたら最高です。メタルのドラマーなんてキットで顔が見えなくて困ることが多いですから(笑)——有賀幹夫」
PRICE:8,800yen
COLOR:Black/White
SIZE:0, 1, 2, 3, 4
DELIVERY: AUGUST
"ストーンズが遂に日本にやってきた
1990年の歓喜と狂乱を胸に刻む"
■有賀幹夫氏コメント
「ミックが手に持っているのはファンから渡された花、成田空港で撮った写真です。いかにもロックスターでミックらしいこの写真ですが、自分では報道写真的に感じられて評価していなかったのですが、glambさんの提案でラインナップに加わりました。Tシャツになることで写真単体よりも当時の狂乱が強く感じられて、ファッションならではの面白さがある1枚ですね。90年の来日時はチャーリーとミックがロンドンから、ロニーとキースがニューヨークから来ました。遅れてビルはロンドンから。メンバーなのに来る国が違うんだっていうことも当時は驚きでしたね。——有賀幹夫」
PRICE:8,800yen
COLOR:Black/White
SIZE:0, 1, 2, 3, 4
DELIVERY: AUGUST
"ロックミュージシャンの起源でありシンボル
キース・リチャーズの素顔"
■有賀幹夫氏コメント
「これはリハーサル後のキースを捉えたオフショットです。リハーサルを終えるとミックやチャーリーはすぐ帰ってしまうのですが、キースはその場に残ってだらだらするのが好きでした。その日のプレイバックを大音量で流しながら、お酒を飲んだり、スタッフと話し込んだりしてごきげんでね。僕はそんなキースの傍に行き、この写真を撮りました。キースから1mくらいの距離でカメラを向けていたのですが、キースはあくまで自然体でしたね。——有賀幹夫」
前代未聞の厳しさでした。僕はストーンズが好きで、いつか彼らを撮りたいということから写真家を目指して、やっと辿り着いた大きな撮影チャンスだったけど、後にも先にもあんな過酷な現場は無い。ストーンズには独自のルールがあるんですね。僕もベストを尽くしたし、メンバーからも僕の写真は気に入ってもらえた。でももっと撮れたはずだという悔いがずっとあった。だから良かったと振り返れるようになったのもここ10年、いや5年くらいですね。
まず通訳を介してのやりとりは一切できないです。当時の僕は英語をあまり話せなくて、アシスタント代わりに通訳を同行してもいいか聞いたけれど即座に拒否されました。「お前自身の言葉でないとこっちは聞かないよ」と。日本人だから、という甘えを許してもらえないわけですよね。まあ、ギリギリの英語力はあったのでやり通すことはできました。それに公演を撮影したら翌日には写真チェック用にマネジメントに渡さなければいけないという決まりがありました。今のようにデジタルではなくフィルムの時代ですよ!ライブを1公演撮り終えたら徹夜で現像をして、そのまま次の日の午後にはホテルに写真を持って行って。公演は連日あったので、夕方からはまた撮影。死ぬ気で撮っていましたよ。
そうですね。でもオフィシャルフォトグラファーはバンドやマネジメントが必要とする写真を依頼されるということですからやりがいは大きい。リハーサル撮影も任されて、そこでの撮影は思い出深いですね。リハーサルは初日の公演前の数日間、東京ドームではなく有明のホールで行われていたんです。リハーサルルームにはメンバーとローディーなどバンドに近いスタッフしかいない。そこに僕がぽつんといて。でもはじめは、いくら撮影OKだって言われていても、やっぱりこっちもびびるじゃないですか。そしたらロニーが来て、「ミキオ、びびらなくていいから、前に行って撮っていいんだよ」と言ってくれたり。メンバーの方が気を遣って、優しくしてくれたというか。リハーサルが終わるとミックとチャーリーはすぐ帰るんだけど、キースとロニーは会場に残ってその日のプレイバックを聴くのが好きだった。二人ともお酒飲んでタバコ吸いながら、スタッフと楽しそうに話し込んだりしててね。だから二人の写真はたくさん撮れた。うまく撮れた写真をキースに渡したら、「お前の写真をベッドルームに飾ってるぜ」と数日後に言ってくれたりして。写真家を続けてきたことへの勲章みたいな瞬間はいっぱいありました。
僕も当時、子供心に日本はひどい国だと思いましたね。72年にストーンズは最高傑作と言われる『メイン・ストリートのならず者』をリリースし、バンドの黄金期の1つと言えるタイミングで、日本でも武道館5公演という破格のライブが企画されました。それが1973年の来日直前になって、チケットも売り出された後にも関わらず、多分日本政府の意向で急に取り止めになった。理由はミックに大麻の逮捕歴があるからということだったけれど、そんなの最初からわかっているわけで。
なぜ日本政府がストーンズの来日を拒否したかは、未だに謎なんです。当時、ストーンズを呼ぶにあたって尽力した議員がいたけれど、彼が政治抗争に巻き込まれて潰されたために来日が流れたという説まであります。デカダンスで退廃的なイメージはもともとストーンズにあったけれど、来日拒否が「やっぱり彼らは危険な存在だ」と烙印を押す形になりました。90年の来日前のオフィシャル撮影オファーの時も、ニューヨークの広報担当者は最後に「ただし本当にストーンズが日本に上陸できるのかはこちらもわからない」と言っていた。73年の悪夢のような来日中止を、ストーンズ側も当時でも警戒しているんだなと思いましたね。
確かに。70年代当時にはジャンキーでメディアから「次にドラッグで死ぬのは彼だ」と名指しされていたキースも、80年前後を境にドラッグをやめて、音楽にもっとフォーカスした生き方になった。70年代もその後もストーンズが伝説の存在であることには変わりなかったけど、80年代になって、アルバムで言うと『刺青の男』のあたりからミックをはじめに健康的なイメージに転身し、90年にはバンドのイメージも変わっていた。さまざまな泥水をかぶりながらも、いくつもの困難を超えてサバイブを続けてきたバンドという評価というか。そうなるまで日本はストーンズを受け止められなかったのだと思う。
有賀幹夫氏が所有するレコード。両面に書かれたサインは90年のバンド来日時にメンバーによって書かれたもの。
日本人はストーンズのライブをずっと見られなかったという不幸な歴史がある。僕はストーンズを撮りたいという思いでロックフォトグラファーになり、駆け出しの時期にラッキーにも忌野清志郎さんやブルーハーツを撮影させてもらうようになった。そんな時も僕は、次はミックやキースだと信じて撮っていました。だから僕は90年の初来日の時も、目の前にいるストーンズを自分の中にある理想のストーンズ像と重ね合わせるようにして撮影した。それが自分のテイストになって、ストーンズも評価してくれるようになったんだと思います。「お前の写真は今までの欧米の写真家の写真とは違う」と。
僕もぜひメンバーに見せたいし、喜んでくれるんじゃないですかね。どちらにしてもストーンズ側の許可があって制作することができた、ある意味オフィシャルTシャツですから。
ガハハって笑うんじゃないの(笑)。30年前に比べたらキースは当然おじいさんになったし、禁煙したこともニュースになった。そんな今だから、タバコで決めているこのTシャツなんかを敢えてキースが着ていたら俺は痛快だな。キースは歳を取ってもタバコを止めてもやっぱりキースだってね。
うん。Tシャツを見せたら「よくやった」と言ってくれると思う、僕に対してもglambさんに対しても。日本人の力強さっていうのを感じてくれるんじゃないですかね。写真は僕が死ぬ気で撮った。30年経って今度はglambさんがこうやってファッションに落とし込んだ。1枚のTシャツですけど、ここにはストーンズと日本の関係性や強い思いがしっかり刻まれていると僕は感じるんですよね。そこをすごく、彼らも評価してくれる気がするな。
1990 年の東京ドーム公演で披露された
セットリストをローリング・ストーンズが公開中!
2003年、“Grunge for Luxury”をコンセプトにデザイナー古谷完によって設立される。以後、グランジロックスタイルを基調としながら、ストリート、モード、ワークなど、様々なスタイルを融合したデザインワークで国内シーンを牽引。ミュージシャンやタレントにも多くの愛好家を持つ。